低気圧のせいか若干の偏頭痛がしている副住職です。
檀信徒の皆様はいかがお過ごしでしょうか?
今回は副住職の経験した世にも奇妙な体験談についてお話ししたいと思います。
以前のブログにも少し書いたかもしれませんが、浄土宗の僧侶になるためにはいくつかの修行方法があり、その中でも副住職は教師養成道場と呼ばれる三週間の修行を幾度かに渡って行う修行方法によって浄土宗僧侶になりました。
これからお話しすることはその修行の中での出来事です。
修行中は修行の妨げになるものは排除するという目的から携帯電話を始め電子機器の類は当然のことながら禁止(修行が始まる際に没収されます)それ以外にもお金を持っている必要もないということで財布も修行が終わるまで没収等、娯楽や世間に関わる物や事柄からは隔離された生活を送ります。その状態で朝早くから夜まで勤行、掃除、勉学と様々な修行に励むこととなります。
そうして修業に励み、体力的にも精神的にもきつくなってくる修行後半に差し掛かったころ、「別時念仏」と言われる修行僧と指導してくださる先生方でお堂の中に籠り、お念仏を称えるという行が行われました。
最初に指導の先生から「別時念仏」に関しての説明や先生方の僧侶としての体験談などのお話を伺ったのち木魚の音に合わせて御念仏をお称えします。その日は既に日が暮れておりあたりは真っ暗。さらにお堂の中も照明は付けず、阿弥陀様の周りの燭台の蠟燭の明かりのみを頼りにお念仏をお称えします。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏…
修行は夏に行われているため日が暮れていてもかなり暑いです。正直副住職は暑さに耐えながらお念仏をお称えしていました。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏…
阿弥陀様の周りだけ明かりがあるため見えるのは阿弥陀様のみなので必然的に阿弥陀様を見ながらお称えすることになります。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏…
かなりの時間お称えするので無心になってお称えしていて…ふと気が付くと阿弥陀様の御顔がそれはそれは優しい顔でニコニコと微笑んでくださっているではありませんか。科学的にはただの像であり、見た目が変わることなどあるはずがないのにはっきりと見た目が変わり、副住職のことを見ながらにこやかな笑みを浮かべているのです。
副住職はあまりの衝撃と得も言われぬ感情が胸に込み上がってきて別時念仏が終わる時には涙が頬を伝っていました。それまでも阿弥陀様の存在とその救いを信じていた副住職でしたが、その場で改めて強く阿弥陀様の救いのありがたさを感じました。
檀信徒の皆様にも何か宗教的な体験をされた方はいらっしゃいませんか?
もし宜しければ住職か副住職に教えてください。
よろしくお願いいたします。
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