今回はタイトルにもある通り、頭髪に関するお話をしていきたいと思います。
というのもなぜ急にそのような話になったのかと言いますと、秋季彼岸法要前に散髪をした副住職の髪がずいぶんと伸びてきたなと思ったことからです。御十夜法要も近づいてきたことだし散髪をするかと思い、色々と思い返してみると副住職は生まれてから記憶にある大半の時間を坊主頭で過ごしてきました。
その坊主頭はとある一人の散髪屋さんによってずっと散髪していただいています。
その散髪屋さんとは…
母です!!(ブログに載るのは恥ずかしいらしく写真がありません…)
生まれてこの方、髪を切る=坊主、母に頼むが常だったため今でも副住職の髪は母にバリカンをかけてもらっています。
ということで本日も散髪をしてもらいました。
散髪前の副住職の頭髪がこちら
普通の人からするとまだまだ短めかもしれませんが、副住職からするとまあまあ伸びたな…と思うくらいの長さです。
そして散髪後がこちら
いやはやスッキリしました。
しかし本日は檀信徒の皆様のために一肌脱いで(「一髪剃って」の方が正しいかもしれません)剃髪(ていはつ)した頭髪もお見せしたいと思います。
剃髪した姿がこちら
スッキリと言いますか、坊主頭の時に残っていたツブツブ感がなくなり、ツルツルという感じですね。触った感じも肌を触るのと変わらないのでサラサラした触り心地です。
ちなみに副住職が修行中は剃髪で修行に励んでおりました。
さてここで是非一呼吸おいて僧侶の姿を想像してみてください。
皆様の想像した黒い衣を羽織り、胸の前で合掌している僧侶はどのような髪型、頭髪をしていますか?
おそらく大半の人が短く切り揃えられた坊主頭、もしくは頭皮が見えてツルツルの剃髪の状態ではないでしょうか。ではなぜ僧侶の髪型=坊主頭、もしくは剃髪というイメージになったのでしょうか?
それは僧侶の在り方が関係しています。
僧侶は言い方を変えると成仏するための修行をしている修行者という事ができます。成仏するために必要なことを行うと同時に成仏のために必要のないことはしてはいけないというのが僧侶としての在り方です。
その際に頭髪があるとそこに美醜の考えが生まれてしまいます。分かりやすく言うならば、おしゃれを考えてみたり、それを他の人と比べてみたりといった欲や煩悩、迷いが生まれるということです。これらは成仏に必要のないことです。それらの憂いを断つために僧侶は僧侶となる際に短く切りそろえたり、剃髪をするのです。
実は檀信徒の皆様も一度は剃髪をするのを御存知ですか?
それは亡くなられた時です。檀信徒の皆様は亡くなられると葬儀式を行いますが、葬儀式は仏弟子となるための儀式という側面もあります。葬儀式をもって仏弟子となって西方極楽浄土において修行を行うということですね。つまり皆さんも修行者になるわけです。修行者になると先ほどの僧侶と同じく剃髪をすることになります。それは剃度作法と呼ばれ、枕経などの際に僧侶によって行われます。
ちなみに生きている間にも剃髪するとシャンプーなどの消費も少なく済みますし、髪を乾かす手間などもありませんから意外とオススメです。
このように僧侶の髪型一つをとっても仏教の教えが根付いていて一般的なイメージになっているのだなという事が分かりますね。最近の僧侶は頭髪を伸ばしている方もいますが、昨今は僧侶と言えども皆様と同様に社会生活を送っていますので、その中で伸ばしている方もいるということでご理解ください。
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