昨日、副住職は浄土宗青年会という浄土宗のお坊さんの中でも若手の集まりの行事として福岡市城南区にある油山の清掃活動に行きました。
なぜ油山なのかと言いますと、油山には浄土宗第二祖であられる鎮西上人の霊蹟があるためです。鎮西上人は筑前の国香月の庄、現在の北九州市の出身で、寿永2年(1183)22歳のときに比叡山に登り8年間の修学の後に帰郷されました。
その頃、油山では360もの僧坊と言われる僧侶が集団で生活や修行を行う場があり、九州第一の学問の道場となっていました。鎮西上人はその油山において30歳の若さで油山学頭になられ、弟子たちが争ってその門に集まったとされております。
その後、建久8年(1197)に京都に登り、浄土宗を開かれた法然上人と出会われ、8年の修行をして、正統を受け継ぎ、浄土宗第二祖として、元久元年(1204)43歳の秋に九州へと帰って来られました。帰って来られた鎮西上人は筑後の国(久留米市)の浄土宗大本山善導寺をはじめ、九州、四国、中国地方の各地に48ヶ寺を建て、大いに念仏の法を弘め、嘉禎4年(1238)2月に77歳で現在の大本山善導寺の地で入滅されました。
油山で学頭をされていた際に建てられた学問所の跡地に記念碑が立てられております。
周りの木々などを見ていただいても分かるかもしれませんが、かなり大きな記念碑となっております。
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