檀信徒の皆様は御存知の事と思いますが、真光寺には薄墨桜という桜の木があります。
毎年春になると、桜の開花宣言を行うソメイヨシノから少し遅れて開花しておりました。
しかし、海風による弱体化や虫による腐食などによって、段々と木が弱っておりましたので、以前より桜を枝分けし植え替えをしておりました。
そもそも真光寺の薄墨桜はというと建武年間(1333~1336)の頃に初代の薄墨桜が真光寺に植えられました。この初代の薄墨桜もかなり大きな桜だったようで、安政六年(1859)に藩主の小笠原忠微が門司の巡見をした際に『真光寺境内に薄墨の桜あり。花時、杖を曳く者多く、其の名遠近に高し』と桜の花が満開であったとされる記録されております。しかしその初代の薄墨桜も江戸幕末の頃に枯死したようです。その後二代目となる薄墨桜の木が大正五年に植樹されましたが昭和二十年六月の空襲によって焼失しました。戦後復興の流れの中で桜の下で茶会をした記憶を忘れられない檀家の希望によって昭和五十年に現代まで残る三代目となる薄墨桜が植林されました。
また、先代住職は「薄墨桜という名称の桜は九州では真光寺のみで、筆立ての山、硯の海、薄墨の桜、文字ヶ関(本来は紙だが先代住職は紙の上の文字としていた)の文房四宝の名が一か所に集まっているのは珍しい」と言っていました。
その先代住職の時代から真光寺を見守ってきた三代目の薄墨桜が先ほども説明したように、木の弱体化が起こっておりましたので今回四代目の薄墨桜へとバトンタッチすることとなりました。四代目はまだまだ三代目に比べると小さめではありますが、長らく真光寺を見守ってきた過去の薄墨桜同様、真光寺の今後を見守ってくれると思い、大切にしてまいりたいと思います。
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