6月の御法語を紹介いたします。
専修念仏
本願の念仏には、独り立ちをせさせて、助を差さぬなり。助というは、智慧をも助に差し、持戒をも助に差し、道心をも助に差し、慈悲をも助に差すなり。
善人は善人ながら念仏し、悪人は悪人ながら念仏して、ただ生まれつきのままにて念仏する人を、念仏に助差さぬとは云うなり。
さりながら、悪を改め、善人となりて念仏せん人は、仏の御心に適うべし。
適わぬもの故に、「とあらん、かからん」と思いて、決定心起こらぬ人は、往生不定の人なるべし。
現代語訳
本願の念仏には独立をさせて、助けを差しはさみません。「助け」というのは、智慧をも助けとし、持戒をも助けとし、菩提心をも助けとし、慈悲をも助けそして差しはさむのです。
善人は善人のままで念仏し、悪人は悪人のままで念仏して、ただ生まれつきのままに念仏する人を、「念仏に助けを差しはさまない人」と言うのです。
しかしながら、悪を悔い改め、善人となって念仏する人は、阿弥陀仏の御心に適うでしょう。
〔ただし〕仏の御心に適わない自分であることから、「ああだろう、こうだろう」と心配して、「必ず往生できる」という思いの起こらない人は、往生の確実でない人なのです。
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